好きな巨大娘の小説を紹介します

 以下の記述は全てR-18(G)です。

 巨大娘というジャンルがあります。これは(相対的に)巨大な女性を取り扱ったいわゆる特殊性癖の1つで、典型的な例としてはビルより背の高い女の子や、逆に消しゴムより縮められてしまった男の子などが登場します。後者の縮小化は巨大娘と区別して「シュリンカー」と呼ばれることもあり、かつ女性以外にも巨大男性、巨大少年などのジャンルも存在するため、これら非現実的な体格差に萌える性癖をまとめて「サイズフェチ」と呼ぶ言い方もありますが、「巨大娘」という言い方のほうが耳馴染みのある方がほとんどではないかと思います。

初音ミク、1640メートル。www.pixiv.net

 僕はこの巨大娘が好きです。好きというよりも、頭より先に下半身が反応します。非現実的とか露悪趣味とか、頭で考えて忌避することはできるのですが、巨大娘を見ると僕は意思と無関係に勃起してしまい、いとも簡単に射精してしまいます。精通を巨大娘で迎えてから10年、未だにほぼ毎晩巨大娘で抜いています。

 この性分はどれだけ変えようと思っても変えられません。商業で流通しているような普通のSMとか、あるいはせめて逆リョナとかで抜けるようになろうと試したことはありますが、頭はめちゃくちゃ興奮しているのに、あそこは一向に固くならないということが多々あります。そのせいで人に言えないくらい嫌になるときとか、逆に人に言って特別気分を味わいたいときとか、この性癖に対する向き合い方は時によって様々でしたが、はっきりと言えるのは今も巨大娘を追って日々のオカズにしているということです。

 一口に巨大娘と言っても様々ですが、僕はいわゆるハードなやつ、残酷な巨大娘が人を殺したり街を壊したりするものが大好きです。また、PSPと壁越しのWi-fiでネットを見ていた中学生時代からの習慣のためか、絵ではあまり上手く抜くことができず、ほとんど常に小説あるいは文章で抜いています。

 小説の良いところは、その抽象性のためかいつまで経ってもネタが古くならないことで、十年近く同じネタで抜き続けているうちにほとんど全て覚えてしまったものもあるくらいです。しかし、そのほとんどは広告もない個人のテキストサイトに掲載されているものであり、いつ消滅してしまってもおかしくはありません。毎日射精している身で言うのも恐縮なのですが、正直このまま消えてしまうには惜しいものばかりだと思います。前置きが長くなってしまいましたが、今回の記事では僕の好きな巨大娘の小説を紹介していきたいと思います。

Scott Grildrig - ジャニスのお出かけ (Janice in the city)

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 翻訳元のオリジナル版に1993年というタイムスタンプがあり、訳が「日本初の巨大女性同人誌」に掲載されていたというので、巨大娘の歴史を見渡す上でも非常に重要な作品と言えそうです。僕はこの作品で精通したので、個人的な思い入れもあります。

 歴史的な価値があるといえるだけではなく、この作品は今読んでも非常に優れています。敬体による日本語訳もハードな内容にどこか寓話風のクッションを与えてくれて、読むのが非常に楽しい作品です。

 内容は巨大娘小説の王道と呼べそうなものです。普通の優しい女の子ジャニスが海水浴の過程で不思議な現象に巻き込まれ巨大化する。その大きすぎる身体によって、図らずも足元で家や人々を踏み潰してしまい、次第にその動揺や罪悪感が快楽に変わっていることに気づく――。あとは破壊、unbirth(insertion)、voreなど巨大娘のシチュエーションの王道を行く内容が短い文章の中にぎっしりと詰まっています。

 同じサイトにこの続編の訳も載っているほか、Scott Grildrigさんの他の作品はGiantess WorldのOld Archiveから見ることができます。どれも非常に実用性の高いシチュばかりで、その中でもThe Visitという中編が好きです。セントルイスが出てきますが、巨大娘小説なので容赦なく破壊されます。あのアーチも破壊されます。えっちな目に合いながら。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b9/St_Louis_Gateway_Arch.jpg

笛地静恵 - もうひとつのコワイ童話 (シリーズ) 

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 巨大娘小説を語るにあたって、笛地静恵さんの存在を欠かすわけにはいきません。というか、僕が一番好きな小説群です。ほとんどの作品は2000年代に書かれているようで、もう執筆から10年以上経っているということになりますが、僕は未だにこの人の作品で抜き続けています。シチュエーションの多様さ、斬新さもさることながら、この人の作品で最も素晴らしいのは文章力です。

 非現実を描き、かつ視界にも収まらないほど大きな人物――巨大な女性――を描く巨大娘小説は、一人称視点を描くのにさえ相当な苦労を要します。「目の前に巨大な女性がいた」と書けば簡単なのですが、実際に自分が縮小された男性だったとして、そんなに冷めた感想は絶対に起こらないはずです。というか、まず最初はそれが女性だということすら分からないでしょう。我々には我々の視点があるように、小人には小人の視点があります。笛地さんの書く文章は、非常に簡潔で分かりやすい文章でありながら、要所を抑えた断片的なイメージがまさにその小人としての没入感を高めてくれます。要所に散りばめられた日本神話のモチーフと合わさって、まるで1つの純文学作品を読んでいるような気分にさせられます。シチュエーションはめちゃくちゃハードなのに。

 笛地さんは各地のテキストサイトに寄稿する形で作品を公開していたため、現存するサイトには残っていないものも多くあります。それでも、ここでは自分が最も好きな作品として、上に挙げた「もうひとつのコワイ童話」シリーズを推します。

 ここに描かれているのは男性を自由に縮小する能力を持った女子中学生、冴子ちゃんの物語です。彼女もまた人の命をなんとも思っていないタイプの女の子で、何気なくクラスメイトや探偵を縮めて水槽に飼い、気兼ねなく玩具にして次々壊していきます。また、もともと母親と別れて一人暮らしをする原因となるほど極度の潔癖症だったのですが、縮小能力を持ってからそれがさらに進行し、水以外が喉を通らない拒食症となってしまいます。その拒食症を小人を食べることによって克服してからは、毎日数十人もの人間を習慣的に縮めて食べるようになり、最終的には街を1つ縮めて押入れの中に数万人を閉じ込めることになります。その食料として閉じ込めた人や街に対する振る舞いも相応に愉快犯的なもので、巨大な女子中学生の振るう力の強大さや、閉じ込められた人間や街の絶望も非常に丁寧に描かれています。

 このあらすじだけを見るとなんとも非現実的なのですが、先にも言ったように、笛地さんの文章ではそれが全く違和感を感じられません。縮小された街についても、やはり要点を抑えた簡潔な描写ながら想像に富んでおり、冴子の視点・小人の視点双方の対比も非常に良く描かれています。この文章を書きながら思い出してもう1度射精しました。

AN-J - Nest

gs-uploader.jinja-modoki.com

 小さくされることは力を奪われることを意味します。普段は女子なんて殴れば勝てる存在なのに、徐々に縮小されて勝てなくなり、最後には女の子の指先1つで弄ばれる存在になる――そんなシチュエーションを徹底的に描いたのがこの作品です。全文は非常に長いですが、縮小に伴う無力感や閉塞感と、そして何よりその圧倒的な力を他人に対して振るう残酷な女の子の可愛さが非常に丁寧に描かれた作品だと思います。頻繁に語り手を変えながら、徐々に絶望へと調子を上げていく筆致も、一時期前に流行ったサイコホラー(悪の教典とか)を思い出させるような臨場感で非常に迫力があります。

 体育館に集まったクラスメイトの前に登場したのは、転校生として1学期初日にだけ出席していた居川まゆみだった。彼女がボタンを押すと体育館中にスプレーが噴霧され、次の瞬間彼らの身体は小学生くらいの大きさにまで縮んでいた。これこそが彼の父親である天才科学者居川辰三の作った縮小薬であり、今から父親の命令でクラスメイト相手に実験をするという。「実験」を通してクラスメイトたちはさらに縮められていき、抵抗するクラスメイトは彼女との圧倒的な体格差により撲殺されていく。最後に彼女は1人の女子生徒だけ5cm程度に残し、残りを豆粒以下の大きさにまで縮め、キャップという小さな密閉空間の中で最後の実験をする――。

 噴霧型の縮小薬という設定自体はシュリンカーではよくあるのですが、これだけサイズ差のもたらす支配関係を明確に書いた作品はないでしょう。そして、この小説は登場人物が一度も服を脱ぎません。肌に触れることすらほぼありません。それなのに、これだけ巨大娘の良さを出し切り、しかもエロとは違う方向で陰茎に訴えかけるこの小説はすごいです。僕はこれでも射精しました。

Kosmita - Carnival nights

giantessworld.net

 最後に、海外の作家で好きな方を紹介します。Kosmitaさんはとにかく残酷な巨大娘や巨大男性を描くのが非常に上手く、突飛な設定でも納得させるような豊かな背景設定や描写があります。しかし、対象的にこの作品は簡潔な描写が効果的になっている例です。

 修学旅行として多くの高校生たちが移動遊園地に来ていますが、ここでの食べ物は評判のようです。Camelliaは屋台を回りながら、VanessaとKellyは観覧車に乗りながら様々な料理を食べます。Camelliaは綿菓子と一緒に粉ほどの大きさしかないtiniesを430人食べますが、悲鳴を上げるのが楽しい程度で味は分かりません。VanessaとKellyはプレッツェルとセットで1人ずつtiniesを食べていきます。「このtinies、どこで手に入れたんだろうね?」とKellyは何気なく聞き、Vanessaは頷きますが、食べ物と話すのは好きじゃないという理由でそのまま噛み砕きます。

 この世界はLiliputian(小人), Gulliverian(人間), Brobdingnagian(巨人)の3種族がいる世界なのです。親の忠告を無視してLiliputianの遊園地を見に来ていた小人の少年のBillyは人間のKellyに食べられ、最後はVanessaもKellyも巨人のCamelliaに食べられます。最初に食べていたtiniesの大きさが異なるのは元々の大きさが異なっていたからなのです。

 よくよく考えると突っ込みどころの見つかりそうな設定ではありますが、この作品はtiniesを食べる行為に対して一切余計な描写をせず、命乞いをする同年代の少女を食べながら淡々と彼氏とのセックスの話をしたりします。食べる側に視点のある描写は至って簡潔で、食べながら別のこと考えてるし、食べたあとも何気ない日常が続きます。反対に、食べられる側の描写は非常に丁寧で、voreという行為の食べる側/食べられる側の立場と力の差を非常に鮮烈に描いています。縮められたが最後、どれだけ抵抗したって女の子の意思で簡単に食べられちゃうんだ……。

 この「ハードな行為を巨大娘の側から簡潔に描く」という叙述のスタイルは、個人的なブームを迎えつつあります。何気なく行った女の子の行為が、縮められた側に苦痛を与えたり命を奪ったりするというのは、個人的に巨大娘萌えの重要な部分を占めています。巨大娘側は罪悪感とか描かないでほしい。行為と共に徐々に叙述が簡潔になっていくのとか見ると本当に最高です。同じくvorecentricな小説であるsupernova - Going Out to Eatでは、当初は1人を食べるのに何段落もかけて丁寧に描かれていたのが、1日の終りには縮めて食べるまでに1行も要さなくなっています。最初の頃は「周りの人に見られているかどうか」とか気にしてたのに、それも無くなります。叙述の濃淡の差だけでこれだけ印象的に力関係の差を見せつけることができるのは、小説という媒体ならではという気がします。

 

 まだまだ紹介しきれていない作品が多くあるのですが、今回の記事で紹介するのはここまでに留めておきます。VTuberの性癖ラジオみたいなやつで「巨大化について教えてくれ!」みたいな曖昧なお便り募集があって、自分は何を送れるだろうか、何が好きだろうかと考えているうちにこんな長文の形をとってしまいました。最初は巨大娘に興味のない方が読んでもそれなりに楽しめる記事を書くつもりでしたが、後半に行くにつれて趣味全開になってしまいました。そしてはてなブログの規約ではR-18は禁止らしいので、怒られたら消します。