ホニアラの思い出

 今からもう半年以上前の話になりますが、昨年の夏休み、ある事情でソロモン諸島という場所に2週間ほど滞在していました。ソロモン諸島はオーストラリアの北あたり、パプアニューギニアの東にある島国で、分類としてはメラネシアに入る小さな島国です。

 ソロモン諸島、という国名でピンと来る人は少ないと思いますが、ガダルカナル島、と聞くと少し覚えのある方は多いかもしれません。ガダルカナル島に首都ホニアラを持つ「ソロモン諸島」という国は、推定人口60万人代の小さな国*1ですが、言語的には非常に多様で、調査によれば少なくとも64以上の地域言語が話されています*2

 このため、イギリス植民地時代や独立後の政治において、島民と外国人、あるいは島民同士のコミュニケーションにおいて用いられた言語は英語の語彙と現地の文法が混ざりあったいわゆるピジンクレオール言語ピジン(Pijin)語でした。これは単に無秩序に言語が混じり合った結果ではなくて、長い歴史*3の中でメラネシア一帯に定着していった体系的な言語であることが分かっているのですが、まあともかく、現地と欧米人との接触によって生まれた、英語とは少し似ているけど明らかに違う言葉くらいに考えてくれたら良いです。Pijin語の例として、次のような文章が挙げられます。

Datfala tri ia, hem long lan blong mi ia.
「その木は私の土地にある。」 (Jourdan and Maebiru 2002: 34)

  その文法に関しては「Pijin」で調べていただければ辞書や語学的な入門書が出てくるため割愛しますが、ともかく僕はこの言語を卒論で調査していて、そのため複雑なご縁*4によってソロモン諸島に連れてきていただいた際にも、無理を言って滞在期間を1人だけ1週間伸ばしてもらい、その時間で言語調査をしていました。

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首都ホニアラの海。まあまあ汚い

 前提おわり。

 ここから下に書かれていることは全てナンセンスで低劣な内容です。

 

 

 言語調査という名目で滞在していた僕ですが、フィールドワーカーとしては致命的なことに、見知らぬ人とのコミュニケーションが非常に苦手でした。仕事がなくて暇そうにしている人たちがそこら中にいるのですが、ビンロウ*5のおかげで見た目が怖い人達ばかりで、ほぼ話しかけることができずにいました。「1日に1人は絶対調査する」というマイルールを決めたのですが、達成できた日は半分くらいでした。

 全く未知の人に話しかけて調査をするのがあまりに大変なので、まずは調査の内容を非常に簡易的な文法性調査に切り替えました。いくつかの簡単な文章をこちらで用意して、それがPijin語として正しいか尋ねたり、もっと自然な表現があれば教えてもらったりするという調査です。

 そして調査の相手も、自分が泊まっているホテルの内側にいる人たちに絞りました。フロントはなんだかんだ言って忙しそうにしているので調査に付き合わせるのは難しく、一番の相手はホテルの夜間警備員でした。彼らは本当に話しかけてほしそうにしていますし、何より深夜に一人で出歩くだけで向こうから話しかけてきてくれます。会話を遮る相手もいませんし、向こうから切り上げられることもありません。このメソッドで調査の人数を増やしていき、昼間は休暇と割り切ってビールを飲んでいました。余談ですが、ビールスタンドは僕がホニアラで見たあらゆる建物の中でカジノの次に警備が厳しそうでした。建物の奥に入った暗い場所に入り口があり、長い廊下の奥にある檻越しに店員から缶と現金を交換します。店員は一言も発しません。これ合法だよな……?という気持ちにいつもなりましたが、ホテルよりレートが低いので利用しない手はありませんでした。

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南国最高!

  ともかく、そうしてホテルの下でビールを一人で飲もうとすると、現地の方が話しかけてくれることがありました。一応レストランの屋外席という扱いのようですが、僕も勝手にビールを持ち込んでますし、そこらへんは緩いのです。全く何も注文していない人がよく入って雑談をしていました。

「よう!」その男の人は僕と目が合うと、一緒の席に移ってくるよう目で合図しました。僕は怪しいと思いつつもその席に移動しました。話しかけるのが苦手で調査できないのです。向こうから話しかけてくれるのならば、それに越したことはありません。

「どこから来たんだ?」英語で話しかけてきてくれてとても助かりました。僕はPijin語の研究をしていながらほぼ現地の言葉が聞き取れないのです。とはいえ、現地の人たちは英語を知っていて、かつ外国人と話すときの公的な言語として非常に良く使いこなしています。

「日本です」僕は答えました。

「日本か。そうか!何しに来たんだ?」

 僕は自分がPijin語の調査で来ていることを伝え、彼にも早速調査に付き合ってもらいました。非常に正直に色々と答えてくれました。ホニアラで出会った人たちは、本当に優しくてフレンドリーな方たちばかりで、とても調査を進める上で助かりました。

「ありがとうございました」僕は言いました。「それで、お願いなのですが、もし問題なければ母親と父親の第一言語、そして名前を教えていただけますか?」

「ああ。母親は~~~出身の~~~語話者で、父親は~~~だ。私の出身は~~~だからな」その方はフレンドリーな口調で全てを教えてくれます。「ちなみに私の名前は~~~で、電話番号は~~~だ。昔は~~~に留学していて、~~~の仕事をしていたんだ。~~~の仕事は大変でな、昔~~~という人が~~~ということをしたんだが、~~~が~~~で……」

 僕は黙って聞いていました。時々相槌を打ちながら。調査に協力してもらい、人によってはナーバスな話題となる母語名や出身まで聞いたのです。ソロモン諸島では1つの母語集団はwantokと呼ばれ、民族と同じくらい強固な社会的繋がりを持っています。過去にはwantok同士の紛争が内戦に発展した経緯もあります。いくら南国の穏やかな雰囲気が漂っていたところで、それを忘れるほど愚かではいられないでしょう。

「~~で、……というわけだ。それから、……ということがあって、……で、ちなみに今は……なんだが、……なんだ。今日はありがとうな!」

「ありがとうございます」

「じゃあ、そういうわけで」男は軽く僕の方を向いて言いました。あのフレンドリーな笑みを浮かべたまま。「今度はお前のことを教えてもらえるか?名前は?」

「……です」

「そうか。おれも日本に行くかもしれないからな。住所と電話番号を教えてくれるか?」

 僕は紙に書いてそれを教えました。あれこれと個人的なことを聞いた手前、こちらが断るのは失礼に値する気がしたのです。個人情報を書いた紙を男に差し出しました。正直に言えば、住所や電話番号を書いたところで何も関係はない気がしましたし、むしろ彼の友達や何やで調査対象を連れてきてくれそうだと考えていました。

「ここに泊まってるのか?」

「そうです」

「部屋の番号は?」

「……です」

「そうか。ありがとう!私にもお前と同じくらいの子供がいるんだ。お前は兄弟がいるのか?」

「います。実は双子で……」僕の話を遮るように、男は、

「ガールフレンドは?」と聞きました。

 僕は返答に困って黙りました。男の目が僕を見ていました。無言は十分答えになっていたようです。

 「ずっと?」

 僕はやはり黙っていました。

「セックスは?」

 これは予想外の質問でした。僕が男の顔を見ると、彼はにっこりと不敵に笑いました。

「お前、何歳だ?」

「……21」

ソロモン諸島で試すのはどうだ?私に同じくらいの子供がいると言っただろう。18か、19歳くらいだ。私は昔タイに留学していた。確かに外国はそういうのに厳しいが、ここではそんなの気にする必要ないんだ。私も何度も離婚してるし、」

「あー……」僕は遮った。「いや、その、」

「そういえば、部屋の番号は……だったな」

 男は話しかけてきてくれたときと同じ、満面の笑みを浮かべていました。その顔には一点の曇りもありませんでした。

「明日の朝連絡をする。ホテルで電話を充電して待っていてくれ。娘をここに連れてくるよ」

 

 あっという間の出来事でした。

 僕は自分の部屋に戻って、残っていたソロモンの地ビールを飲みました。全然味がしませんでした。念入りに鍵を閉めて、それから布団にうずくまりました。巨大な恐怖におびえていました。少しでも今の状況から逃げ出したくて、そのためにツイッターをしました。

 

 

  最後、現地のSIMを挿していた中華フォンの電源を切って、僕は眠りにつきました。午前4時くらいのことです。

 

 次に目を覚ましたら正午でした。貞操が守られていることに安心して、中華フォンの電源を入れました。着信はありませんでした。その後、こっそりオナニーをしました。

 最悪の後味だったことを覚えています。

 

 

 今だから言えば、あれは間違いなく日本人をターゲットにした結婚詐欺か何かだったのでしょう。一緒にソロモン諸島に行き、一足早く日本に戻った同行者も同様の経験があるようでした。ただ、僕の人生の中でそういう異性との交渉が唯一ありそうな展開だったので、今でもとても良く覚えています。

 ちなみに、今回会った方は少し開放的な方でしたが、ソロモン諸島全体がそうというわけではもちろんありませんので、十分気をつけてください。RAMSI(ソロモン諸島の内戦調停機関)の発行した外国人向けのガイドでも、男女のスキンシップが西洋に比べて稀でかつ好意的に解釈されないことが書いてありますし、公共の場での露出も控えるよう指示されています。また、多くの国民は数世代に渡ってキリスト教徒であり、宗教に従って敬虔に生きている人々がたくさんいらっしゃることを強調しておきます。

 

*1: Population - Solomon Islands National Statistics Office

*2:以下、この記事におけるソロモン諸島の言語状況に関する記述は基本的に以下の記事によります: Jourdan, Christine and Rachel Selbach (2004) Solomon islands pijin: phonology and phonetics.
In B. Kortmann (ed.) A Handbook of Varieties of English: Phonology and phonetics, 690–
791. Berlin: Mouton de Gruyter.

*3:Pijin語の歴史はここに詳しい: Keesing, Roger Martin (1988) Melanesian Pidgin and the Oceanic Substrate. California: Stanford University Press.

*4:このご縁に至るまでの複雑な経緯はサークルの部内誌等にいずれ完全な形で出したいと考えています。もしこの記事をご覧になっていたらですが、私をソロモン諸島に連れて行ってくださった方々に改めて感謝の意を述べさせていただきます。

*5:台湾~オセアニアあたりで広まっている噛みタバコに似た中毒物質で、常習すると歯が赤くボロボロになる

近況報告

 大学を卒業して、今年の4月から働いています。望んで選んだ仕事、というわけじゃないですが、就活しているときから何かやりたいことがあったわけでもないので、わりと清らかな気持ちです。

 ネガティブな話をすると。

 あまり会社の悪口を言うのは好きではないですが、色々な非効率とか歪みとかが目につくときがあります。愛想笑いを浮かべて指示を聞いたあともそういうモヤモヤが残って、退勤した後も鬱憤が残っていたりします。仕事の負の感情はインターネットに持ち越さないという気持ちで取り組んでいますが、会話とか、通話の中だとついネガティブな気持ちを言ってしまうことが多いです。

 これは自分の属している会社じゃない、一時的に社会科見学で見に来ただけ、という自己暗示で色々な気持ちを乗り越えています。諸々の非効率を見ると、まずこの非効率がどうして起こったのかを考えます。そして、その後なぜ続いているのかも。

 色々な仕組みがおそらく90年代とかゼロ年代に出来て、その後更新されてないんだろうなあと思います。バブル代の建築とか、目に見えるものは無駄が分かりやすいけど、見えないものは分からないし伝わらないですから、そのまま、こびりついて固まっているのではないかと思います。twitterとかで目に見える仕事環境の効率化とかの話、自分はあまり好きじゃなかったですけど、今はなぜあんな議論がされているのか分かってきた気がします。それでもtwitterで言うのはやめてほしいですけど。

 とはいえ、非効率がありながらもとりあえず働いていられるのは、リモートワークのおかげで出勤回数が少ないことと、幸い厳しい上司がいなかったことのおかげでしょう。仕事が非効率的なことに関してはおそらくみんな自覚があって、それでも誰も矢面に立てずにズルズル続けている状態なんだろうと思います。あるいは、自分が引退した後に誰かがやってくれると。悲しくなるときもありますが、自分もミスや勘違いの多い性格なので、前時代のシステムに紛れて楽ができる今の職場は適しているのだと思います。

 仕事は悲しくなることも多いですが、金銭的余裕という点でいえば、実家に住みながら月給を得られる今の暮らしは悪くないです。何をしても餓死はしないという安心感は、心に余裕を与えてくれます。スーツを着ながら電車で出勤するのも、社会経験の一貫として見ればまあまあ価値のある体験です。ただ、これはまだ死ぬまで十分な時間があると思っているからこそできることで、このまま人生が終わるのは確実に嫌です。副業禁止規定があったので、Nuitaが今後スケールしていけばどこかのタイミングで辞めようと考えています。

 

 働きながらNuitaの開発を続けています。働き始めたらやる気をなくすと思っていましたが、今のところは逆で、平日のほうが帰宅後にNuitaを頑張ろうという気持ちになります。射精報告のSNSを作るという行為が、自分にとって何らかの防波堤になっている可能性があります。負の感情をプライベートで発散できているともいえます。理想的なワークライフバランスですね。本当に?

 ただ、体力的には間違いなくつらくて、筋肉痛の中で何もできずに土日が過ぎています。今日も、この記事を書くまでずっと布団でKindleで百合漫画を読んでいたら午後4時になっていました。不思議と悪くない感覚です。大学の4年間で本当に努力が苦手になってしまいましたが、それでも最低1日1時間はNuitaに充てたいと考えています。ただ、Webサービス開発に際して1日1時間とか何もできないのと同義なので、やっぱりもう少しNuitaに充てられる時間を増やしたいです。

 そう、詳細についてはまた別の記事に譲るとして、Nuitaをスケールさせていきたいと思っています。あんまりマネタイズとかは考えたことないですが、やっぱりNuitaである程度収益を得られて、他の仕事しなくても生きていけるようになったら嬉しい。自己実現の一種の形としても、好きなことを仕事にできたら最高ですよね。僕の場合は、好きなことがたまたま射精だったので響きが最悪ですが。

 一時期起業を考えてアイデアコンペに出してみたりもしましたが、どう考えても射精報告で通るわけがないということ、そして特にお金が必要なビジネスではないということで、当面は副業的な形で進めていきたいと思います。それでもこの1ヶ月くらいに、起業やファイナンスの本で学んだ知識や考え方は1つの大きな糧になりました。

 

 なまじ終身雇用の会社に入ってしまったからこそ。定年までの1つの道筋を示されて、そういう人生のルートもあるのだろうと感じました。でも、やっぱり、そういうのを……あまり面白いとは思えなかったので、はっきりと決別して、自分にしかない新しい道を突き進む勇気が必要なのだと思います。

 例えそれが、滅びへと向かう道であったとしても。この歩みを止めることはできません。そこに、射精がある限り――

 

 

Nuitaを支える技術

 この記事はKMC Advent Calendarの8日目の記事です。7日目の記事は id:kaptambns さんの「GIUを支える技術」でした。Webプログラミングの知識がない状態から作ったサービスとして、特に自分もWebプログラミングをするようになってから全力でリスペクトしています*1。「この方は部員の中でも屈指の人生経験の持ち主ですので、記事の内容が楽しみです」と紹介され(そんなことはない)、何を書こうかずっと迷っていましたが、v-dataGod Illust Uploaderに続いてウェブサービスつながりということで自分のWebサービスであるNuitaについて書こうと思います(責任を押し付けていくスタイル)。

www.dnek.app kaptambns.hatenadiary.jp adventar.org

注意

 本記事の主題は成人向けのウェブサービス開発です。技術的な側面について述べるため、性的な描写は可能な限り控えましたが、苦手な方は注意してください。

*1:余談ですが、数年前のアドベントカレンダーでR18な感じのことを取り扱っていたのもリスペクトポイントです

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大原~花背漂流記

 漠然とAdventarを見ていたら、自分が約3ヶ月もの長きに渡って記事を滞納していたことに気づきました。大変申し訳ありません。本来書こうと思っていたこととは全然違うのですが、ちょうどKMCっぽい経験をしたところなので、今回はその記事を以てアドベントカレンダー16日目の記事とさせていただこうと思います。

 *1adventar.org


  突然ですが、皆さんは「効率性」って好きですか?僕はあまり好きではないです。人に非効率を押し付けられて悲しい気持ちになることはありますが*2、自分で選択する非効率は不思議と嫌いになれません。人生は効率性との戦いで、いかに非効率的なお楽しみを残せるかがキモです。

 何にも結びつかない無駄なことって、どうしてあんなに楽しいんだろう。

 

……そういう愚かなことを考えた結果、無茶な旅程についてきてしまったことをひどく後悔しています。17系統、大原行きのバスに乗っていたときのことです。

gyazo.com

 同行者のサークルの先輩たちとこの行程を再確認していたところ、居合わせた地元のおばちゃんに全否定されたからです。おばちゃんに僕たちの旅程を話したところ、「無謀ちゃう?」とひとこと言われ、その後もバスを降りるまで本気の心配をされ続けました。(おばちゃんの声が大きいので、バス中の人々が僕たちの異常な行動を知り、憐れんでいました)

 なぜこの行動に至ったのか。 KMCでは毎年これくらいの時期に花背の山奥で春合宿をやっているのですが(昨年の様子はこちら)、その記念すべき初日、バスの集合場所にやってきた先輩の「徒歩で行かない?」という提案に同意してしまったためです。あまり詳しくは知らないのですが、日頃の最短経路である鞍馬~花背峠間のルートは一部が封鎖されており、そのため京都バスの最北限である大原(それなりの観光地)から、山を縫ってぐるりと回り込む必要があるとのこと。普段はネット中毒で滅多に下宿の外にも出ないのに、いきなり17kmの旅程は無理がありすぎます。ちなみに昼夜逆転が祟って起きたのは前日の夕方4時です。

 「この先食べ物とか買えるとこないよ」と言われ、促されるままに終点4つ手前のバス停で降車。

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 シックなファミリーマートがありました。

 これまでディスカバリーチャンネルで見てきた遭難事故の先例を踏まえ、飲み物とおにぎりのほかに板チョコを購入。この高脂質・高糖分のエネルギー源に今後何回も救われることになります。

 

 歩行距離を少しでも節約するため、終点まで1km足らずの距離を再びバスに乗ります。終点は大原三千院、何やら有名な観光地のようです。と、ここで先輩が「観光してかない?」と言い放ちました。三千院はバス停から東方向の山上にあり、これからの行程に対して明らかに遠回りです。僕は懸命に反対しました。観光したいのなら、そう遠くは無いのですから、また日を改めて来れば良い話です。日没というタイムリミットもありますし、何よりこれから十数キロの歩きが待っているのですから、あえて山上の寺に回り道することは決して懸命な判断とはいえません。

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  来ました。我々は非効率と逆張りに突き動かされた悲しきモンスターです。*3

 

  ここから先、しばらくはただの舗装道路です。微妙にバンピーな気もしなくはない林間の国道をゆっくりと進んでいきます。昨年の台風でなぎ倒された木もあり、「落石注意」の看板も見えたりしますが、気にすることはありません。人間の当たり判定は車より小さいので。

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 問題は距離です。Googleマップには4時間半の行程と言われましたが、平坦な道と今後始まるであろう峠の山道が同じ速さで歩けるはずはなくて、時たま入るスマホの電波から「日没後が心配」「夕食間に合わないのでは」みたいな発言が入ってきます。前述の通り僕は昨晩の16時からずっと起きているので、次第にやってくる眠気が不安でなりません。

 5~6km歩いたところで疲れてきたので休憩します。道を降りたところにいい感じの川が流れていました。いい感じの石の上に座ってお昼ご飯です。僕はコンビニで買ったおにぎりを全て食べてしまっていたので、もしものために取っておいた板チョコを空けていきます。

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 板チョコはおいしいです。疲れを癒やす力があります。

 

 そうこうしているうちに雨が降り始めました。既にバスで目的地に到着し、屋根と暖房に囲まれた安全地帯から我々のことをせせら笑っているに違いない人々の情報からすると、花背も雨とのこと。困ったことに、僕は荷物ごとバスに傘を預けてきてしまったので、雨から守ってくれるものがありません。仕方が無いので先輩の傘に入れてもらい、強い山風が吹き始める中、恥ずかしさと寒さに震えながらも代わり映えしない山道を進んでいきました。

  民家はとうに見えなくなっていましたが、次第に周囲の林も森へと代わり(違いはよく分からないです)、根本から折れたまま朽ち果てている倒木も目立ってきます。「不法投棄禁止!」みたいな看板が出始め、よくよく周りを見てみると、道からすぐ見える場所に古雑誌やソファ、一輪車など、何年前に捨てられたかも分からないガラクタが投棄されています。大変嘆かわしいことです。雨に打たれながら溜息をつきます。しかし、そのゴミの山で我々は、

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 傘を発見しました。

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 喜びのあまり記念撮影します。今日この日のために、この傘は幾年もの時を辺鄙な山奥で過ごしてきたのです。感謝しておきましょう。

 同行者の1人は異様にこの傘の柄を気に入ったらしく、道中ずっと爆笑しながら写真を撮られていました。

 

  道を進んでいきます。基本的に何も無い道ですが、途中シーズンオフの鮎釣り場とか、白煙を上げながらゴミを焼いているおじさんとかに遭遇します。滅多に人が来ない道だからか、おじさんはようやく話し相手が来たという感じで、焼却炉を離れて僕たちに話しかけてきます。内容はあまり理解していませんが、大学を出なさいとか、資格を取りなさいとか、そういう役に立つアドバイスをもらいました。オススメの資格は漢検、英検、宅建で、そうすれば京都市役所の上のほうになれるとのこと。将来の話を聞いていると頭痛がしてきたので、まだ話し足りなさそうにしているおじさんを振り切り、更に山道を進んでいきます。

 

 携帯の残り電池を気にしていたので、あまり写真が取れていないのですが、次第に道も狭く険しくなっていきます。周囲に流れていた川のせせらぎも消えて、ここからは本格的な山道のようです。連なるような山の中で、向かいのはるか上空に別の道があると思っていたら、実はそれが自分たちの道の続きだった、ということが増えてきます。こう書くとポエミーな感じがしますが、もちろんそんなことはなくて、物理的にはひたすら痛みと苦しみを味わい続けました。先輩にチョコを分け与えたり、逆にアメをもらったりしながら、次第に増していく勾配を進み続けます。途中に「触らないでください」って書いてある京大地震研の計測器を発見して、傘でちょっかいを出したくなる衝動を必死に抑えたり、未だに僕の傘が気に入っているらしい先輩から写真を撮られたりしながら進んでいきました(この記事を見ていたら写真ください)。

 

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 しばらくすると百井という集落に到着しました。地図とか掲げてあったりして、フレンドリーな様子です。町の集会所的なところの外に腰掛けていると、資材を積んだトラックが怪訝そうな様子で通過していきます。そういえば登り坂があまりに苛酷だったので、杖として僕は廃棄された傘を、先輩の1人は折れた交通ポールを、もう1人は道端の枝を拾っていました。傘以外を捨て、僕たちは最終目的地へと進んでいきます。

 

 ここから先もあまり写真が撮れていないのですが、おそらく最も過酷だったのは最後の3分の1くらいだったと思います。上掲の地図を見てもらえば分かる通り、傾斜の都合で道が曲がりくねっているだけでなく、長い下りと上りが繰り返されるようになります。そして周囲はスギが大繁殖中で、僕の被っていたマスクの中も花粉で飽和していきます。マイナスイオンの正体はスギ花粉だと思いました。

 徐々に食糧備蓄が減ってきたので、ここらへんからエネルギーと水分切れが怖くなってきました。途中ベンチの付いたお地蔵さんの祠があり、そこで数分間休憩したのですが、お供え物と思われるペットボトル飲料を奪い取れないものか真剣に考えました。

 百井から数kmの下り坂を経て、我々は百井別れという場所に辿り着きます。要は日頃使っている鞍馬~花背間のルートとの合流地点なのですが、ほぼ180度近い鋭角のコーナーで、地理上仕方ないと分かっていながらもやるせなさがこみ上げてきます。

  百井別れの様子です。通行止めの標示に微かなエモさを感じつつ、反対側の急斜面を登っていきます。

 

 花背峠に着きました。消耗した足腰に九十九折の急斜面はあまりに厳しく、同行者達は「後ろ向きに歩くことで使う筋肉を分散させる」というメソッドを考案し、実行していました。

 ここから山の家までは3.5kmという標示があり、僕は焦りましたが、先輩曰くこれは何らかの間違いで、そこまでは遠くないとのこと。Googleマップを覗きながら言っているので、きっと間違ってはいないはず。もうすぐ皆に会える、ロッジの暖かい布団に入れる。期待に胸を膨らませながら、外界へと続く下り坂を降りていきます。

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 もう人の言葉は信じません。

 

 既に近くにいるはずだ、我々は十分歩いたはずだ、という確信と疲労からか、全ての看板が山の家の入り口を示している気がします。特に山道は斜面で先が見通せないので、1つ坂を降りるたびにその先に町のある気がしてくるのです。

 途中、山の家に酷似した(ようにそのときの僕に思えた)ロッジを見つけ、喜びのあまり僕たちはハイタッチしました。先輩は笑っていました。その笑いは達成感からだと信じていました。疲れと喜びでぐちゃぐちゃになった顔で、僕は記念撮影までしました。

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 記念撮影が済むと、同行者たちは笑いながら先へと進んでいきました。僕も薄々気づいていました。その笑いは達成感ではなく優越感、あるいは僕に対する憐憫の情から来ていたことに。言われるまでもなく、僕の認識機能は完全に壊れていました。これは目的地ではありません。目的地の建物に少し似ているだけの、全く異なる打ち捨てられた山小屋です。記念撮影をしている間、先輩はどこか悲しげな目で、僕たちの進む道、壮大な下り坂を見つめていました。

  数分後、少し視界が開け、携帯の電波も僅かに入り始めました。普段バスで向かうとき、道化のような気持ちで眺めていた巨大な看板。記憶の中の花背にあったものが見つかり、僕たちの来た道は間違っていなかったという安堵が広がります。

 数分後。僕たちは花背の町に入り、両側に点在する家屋に大きな安心感を抱きました。バスで来れば田舎としか思えない光景ですが、今の僕にとっては祇園四条にも匹敵する巨大な文明でした。家があり、ポストがあり、自動販売機まであります。自動販売機は本当に素晴らしいです。数年ぶりにオロナミンCを飲みましたが、とても美味しかったです。

 それから1km程度花背の町を歩き、ようやく僕たちは目的地の山の家、の入り口に辿りつきました。山の家はその名の通り山の斜面上にあるので、ここから先に数百メートルは急斜面を登らなければなりません。例年バスから降りた僕は、この斜面を登るのにすら息を上げ、苦しんでいました。しかし、今の僕たちにとって、これは斜面でも何でもありません。見慣れた、歩き慣れた軽い坂道です。あと少しで目的地に着くという期待のなか、僕の両足は自然と走り始めていました。乗り越えられる。どんな坂も。どんなに困難な道だって、僕たちになら進んでいける――。

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 辿り着きました。居合わせたOBの方に記念撮影をしてもらいながら、僕の両目は自然と潤んでいました。これはきっと花粉症の症状に違いありません。十数キロもの山道の間、僕たちは数千本、いや数万本のスギを乗り越えてきたのですから。

 

 

 帰路、僕たちはバスを待っていました。そのとき、あの地獄のような行程に誘ってきた先輩の一人が、僕を見つけて声をかけました。

「下山、下山」

 帰りも徒歩で行かないかと提案しているようです。

 僕は丁重に断り、踵を返し、決然とバスに乗り込みました。

 バスの車窓から見る山道は短く、僕たちの5時間は30分のドライブで事足りました。

 

 もう二度とあんな愚行はしません。

 


お知らせ

 KMCでは新入部員をいつでも募集しています。所属や年齢に関係なく、どなたでも入部可能です。そういえばそろそろ新歓の時期なので、少しでも興味のある方はぜひ参加してみてください。日頃はあらゆる愚行をしております。よろしくお願いします。

www.kmc.gr.jp

*1:「2018」の文字列をウルっときた……今年に入ってから就活とかつらいことばかりなので一生2018年が続いて欲しかったです。

*2:手書きのESとか

*3:この後三千院はわりと高めの拝観料を課していることが判明し、お金のない私は丁重に辞退しました。その後、中に入った先輩が出てくるまで外のお土産屋を眺めていたところ、おばちゃんに話しかけられ、試食し、拝観料と同額の漬物を購入しました。

バンコクの思い出

 この記事を書いている今日は奇しくもセンター試験の日で、つまり僕の数少ない成功体験のうちの1つが誕生した日でもある。インターネットはつくづく不思議な場所で、おそらく一人も見ていないだろう受験生に対してアドバイスの皮を被って成功体験の吹聴や自己確認が行われていたりするのだが、そういうあからさまな自己肯定感の祭典を鼻で笑ったところで、僕もまた一定の成功体験の追憶を行っていることは事実として認めなければいけない。大学の近辺に住んでいるので、先程出かけただけで大量の受験生を目撃したのだが、そのとき深々と被っていたフードの内側に見える僕の口元には、勝者にだけ許される冒涜的な笑みが浮かんでいた。今更言うまでもないこととして、僕は最低の人間なのである*1

 というわけでその帰り道、僕は何らかの黒歴史を書き下して自分への楔にしようと思ったのだが、僕は身体の9割が黒歴史で構成されている人間なので、考えても考えても書くことばかり出てくる。しかしどれも容易に書けるものではない。おそらく黒歴史を書く過程は継続的な苦悶や疼痛との戦いであり、書けば書くほど死や発狂へのレールは加速していくことだろう。ということで、あまり激烈な黒々とした陳述は取り止めて、もっと「こんなこともあったけど今思い返すと恥ずかしいな~」くらいの、いわばセピア色の写真のような淡い思い出を書くことにしよう。ところで相変わらずクソ長いこの前振りは、早く本題に入りたくないがためだけに付加されたものです。

 

 

 ツイッターとか現実とかで繰り返しネタにしてきたし、些か食傷気味で申し訳ないのだが、去年の8月、僕は短期留学プログラムでタイのバンコクに滞在していた。日中はなぜか一向に仲良くなれない数人の日本人学生と一緒にタイ語やタイ文化について勉強し、放課後はタイ人学生に連れられてバンコクの街を観光した。僕はまだ一人の名前も顔も知らないのに、いつの間にか日本人の女子学生が現地の日本語学科の子と仲良くなっていて、その子たちが日本人学生全体を色々な場所に連れて行ってくれたのだ。一言もプログラムにはそんなこと書いてないのに。

 観光と言っても、日本人学生のうちの3分の2が女性で、タイ人は100%女性だったから、行くのは大学近辺のショッピングセンターだ。そこで彼女たちは日本には無いという服屋のカジュアルブランドや、地元で人気を誇るスイーツ屋さんに連れて行ってくれたりする。男子学生は2人だけで、うち1人は女子と話すのにも慣れているようで、平然と女子と食べかけのスイーツを共有したりしている*2。僕はこれに良く似た場所を知っている。地獄だ。

 で、僕は女性の顔を見ることが苦手で、まして会話するなんてほとんど不可能に近かったから、いつも集団の端っこに一人で居座って、怪しまれない程度に会話量を最小化する、WiFiがあればすぐさまTwitterを開く、という活動を行っていた。たまに女子が出店の1つに興味を示せば、僕も周りに合わせて何らかを購入して食べ、何らかの好意的なコメントを残す、女子がウィンドウ越しに何らかの店の商品に興味を示せば、遠巻きに見守りながらお店のタイ文字の字体に思いを馳せる、そんな感じだ。

 僕はタイ文字のバラエティ豊かな字体を見たり、明らかに海賊版のロゴが入った1000円以下のTシャツや帽子を眺めたり、怪しげに光るタイ文字入りのキーボードを眺めたりするのが好きだったから、他の同行者が興味を示すものにいまいち共感できなくて、隅っこのほうで早く終わって寮に帰れないかなあと強く願っていた。これは万国共通の普遍的な真実だと思うのだが、女性はとにかく雑談が長い。少なくともその傾向がある。1人が帰るたびにわざわざ立ち止まって、明日どうせまた会えるのに長々と別れの口上を述べる女子学生たち、僕はその後ろで、できるだけ別れを惜しみ、まだまだ話し足りないような表情や素振りを生成しようと努力していた。

 

  共同生活への嫌気が差しに差して、インターネットに意味もなく下ネタを連投する等のストレス解消を図っていた6、7日目のこと、この日は少しだけ事情が異なっていて、僕も少しワクワクするような感情を抱いていた。日本人女子学生から聞いたところでは、今日は夕食後にカオサン通りというところに行くことになっていた。そこは外国人が多く集まる「バックパッカーの聖地」というやつで、車の入らない広い通りへせり出すようにクラブやバーが立ち並び、路上に酒やツマミ、コンドームを売る露店があり、所構わず爆音でダンスミュージックやヒップホップが流れ、外国人の若者が踊ったり酒を飲んだり、いわば夜遊びの本場のような場所なのだという。

 当初は危ないから遠巻きに見物しようという話だったのだが、現地学生の中に1人、カオサン通りで踊ることが趣味だという女の子がいた。その子は学生たちの中では珍しくメガネをかけていない、均整の取れた顔にパチリと開いた目、通った鼻を持つ女の子で、まあ正直に言うとめちゃくちゃ可愛かった。とにかく彼女はダンスが好きで、せっかくだから寄って行こうよ、と彼女は言ったのだった。

 これに呼応して現地学生の間で喧々諤々の議論が起こり、彼女たちは突然日本語の100倍くらい早口なタイ語の議論を始め、どこが文末でどこが文頭かも分からぬまま僕たちはその議論を眺め、そして最終的には行ってみようという結論に至ったようだ。彼女たちはそのことを僕達に日本語で言うと、道にせり出したバーのうちの1つに連れて行ってくれた。バーの前にはタイ人の店員が1人いて、慣れた様子の彼女を介して僕達に入場料を払うように伝えた。僕たちは数バーツを払った。冷えたチャーン・ビールが渡された。

 バーといっても、入り口の時点から既に路上にも伝わる爆音が響いていて、EDMのキックが殴るように文字通り僕達の身体を揺らした。DJは2階のブースからバーを見下ろしていて、その正面には歓声を上げながら踊り狂う外国人たちが沢山いたが、慣れた様子の彼女は暗く人も少ない店の奥へと連れて行くと、そこで缶を打ち付けて僕達と乾杯をした。中身を一息に飲み干して口元を拭うと、彼女は缶をそこらの机にほっ放って、バー自体初めて来たような僕達にお手本を示すように踊り始めた。僕たちは輪になって、互いに確かめながらリズムに合わせて踊り始めた。

 おそらく数十分もいなかったと思う。その間に僕たちはまた新しいビール缶を手にしていた。EDMはいわゆる派手な4つ打ち系が多くて、あまり好きなジャンルでもなかったが、大量の音と光、そして周りで踊り狂っている人々に合わせて僕もオタクダンスを踊っていた。正直めちゃくちゃダサかったと思う。1拍ごとに首を上下させ、まるで雌鶏のような動きをしていた。それに比べて、踊り慣れている様子の彼女のほうが明らかに上だった。具体的にどういう動きをしていたかは覚えていないが、ただ身体を前後に揺らすだけでも、全身を使ってゆったりと動いていた、あきらかに彼女の動きのほうが滑らかだった。

 僕たちは酔っ払った。まだまだ何時間だって踊っていられそうな気がしたが、それは錯覚というやつで、大学の寮には明確な門限があったし、実家から通学している女の子だっていつまでも帰らずにはいられないだろう。あの彼女に手を引かれて、僕たちはそのバーを後にした。カオサン通りを出口まで歩いた、その途中で彼女は何回も通行人から英語で話し掛けられたが、全て聞こえないような素振りで無視していた。

 カオサン通りの出口につくと、彼女はそこで寮へ帰るためのタクシーを呼んだ。僕たちは全部で8人いて、ギリギリ2台に分かれて乗れるかという程度だったが、彼女は僕達に離れて待っているように伝えた。確か最初から大人数が見えると、運転手が乗せたくなさに通過してしまうから、とか言っていた気がする。ちなみにタイのタクシーの運転手はよく客を断る。メーターは付いていても使おうとせず、値段は事前に客と交渉する。目当ての額が断られたら破談である。渋滞が多く、メーターが頼りにならない事情もあるのだろうが、外国人には明らかに相場より高い値段を吹っかけてくる。

 何台目かでようやくOKが出ると、僕たちは4人でタクシーに乗った。彼女が助手席だ。僕は他の日本人2人と一緒に、トヨタ車のタクシーの後部座席で彼女を見守る。と、彼女は目的地を流暢な英語で告げた。その後も英語で運転手と二言三言交わす。違和感を覚える僕達を振り返って、彼女は笑いながら日本語でこう言った。

タイ語は話さないの」

 なんで、と聞く同乗客に、彼女は顔を赤くしながら返す。

「タイ人ってバレたらダメ。連れて帰される……」

 彼女の手にはまだ緑色のビール缶が握られていた。プルトップが壊れて、少しずつしか飲めないようだった。彼女は笑いながら言った。

「イナカに帰されちゃうの。私、イナカの子だから……」

 何かの教科書か本で読んだのだろうか、彼女はその『イナカの子』という表現を何度も自嘲的に繰り返した。彼女は僕の方を見ていたわけでもなく、単に後ろを振り返った位置に僕がいただけなのだが、なんとなく僕は恥ずかしくなって、窓の外に目を逸らした。

 

 数日前に、彼女とどこかのショッピングモールを回りながら交わした会話を不意に思い出した。なんでタイ語を勉強してるの、と聞かれて、僕はタイ文字の形が面白いからだ、と答えた。「面白い……?」と彼女は答えた。腑に落ちない様子だった。当然だ。というか、この答えで腑に落ちている人間を見たことがない。十数万のお金を費やしてはるばる来ておいて、その理由は文字の形にあるとは。

 僕は今度はお返しに、なんで日本語を勉強してるの、と聞いた。すると彼女は答えた。日本の会社に就職するためだ、と。彼女は言った。日本の会社は勿論現地で沢山のタイ人を雇用しているし、それなりに昇進もあるが、ある一定以上の地位に上がるには言語の壁がある。中心、という表現を彼女は使ったが、本社では勿論日本語が使われている。本社のほうが給料も高い。そもそも入社するときにも、日本語が使えることは大きなメリットになる、と。

 僕はそれを聞いてしばらく黙ってしまった。彼女のほうが明らかに優秀だ。タイ北東部の生まれで、タイ語はもちろん、英語、それに日本語だってこうして話している。片や僕は漠然と、本当に漠然と生きてしまっている。

「ところで、面白いって……?」歩きながら、重くなってしまった雰囲気を変えるためだろう、彼女は話題を1つ前に戻した。

「僕は言語学科で、言葉とか文字とかが好きだから……」思ってもいないことを僕は返した。

言語学!じゃあ、タイ語以外も勉強してるの?」

「まあ……ロシア語とか、ギリシャ語とか、……ほとんど話せないけど」

ギリシャ語!すごい!」彼女は言う。「何か話してみてよ!」

 今から思えばあれは良くあるお世辞というか、興味を示したフリというか、とにかく額面通りに受け取るべきものではなかったと思うのだが、僕はそのお世辞に気を良くしてしまった。経験の無さはまさしく罪である。僕はその時たまたま思いついたギリシャ語の例文をもじって、詩人のようなわざとらしい高低アクセントで読み上げた。

 "οὐκ σὐ εἰ αἴτιη, ἀλλὰ ἐκεῖνα"

「意味は?」彼女が聞いて、僕は心の中で答えた。

 

 あなたにではなく、かのことどもに責任があるのだ。

*1:この記事を書いている最中にも僕は成功体験を追認して気持ち良くなっている。

*2:彼には僕がどうしても受け入れられなかった2つの癖がある。1つはわざと僕にだけ聞こえるような小声で淫夢用語を使うこと、もう1つは事ある度に屈託のない笑顔で「幸せだな~」と発声することだ。

国際音声記号を爆速で打ち込むウェブアプリ(もどき)

 この記事は KMC Advent Calendar 2017 - Adventar の1日目の記事です。このカレンダーの内容はkyp(id:kypa)さんの尽力によって下の記事に逐一まとめられる(予定な)ので、良ければ参照してください。kyp(id:kypa)さん、がんばってくださいね。

kmc.hatenablog.jp

 そしてこの記事はなんと 語学/言語学/人工言語合同 Advent Calendar 2017 - Adventar の1日目の記事でもあります。こういうの許されるんでしょうかね?内心ビクビクしてます。よろしくお願いします。

 はじめに

  kyp(id:kypa)です。さて、皆さんはIPAと聞いて何を思い浮かべますか?もちろん、International Phonetics Alphabet、国際音声記号ですよね。不正確で例外も多く、そもそもの字母も少ないラテン文字表記*1より正確に・精密に発音を表記できるこのアルファベット、日常生活においてもついつい使っちゃう、なんて人も多いんじゃないかなと思います。

 しかし、マイナーな文字体系にはよくあることなのですが、文字コード上では定義されていたとしてもIMEからは変換できず、Unicodeからコピペして使ってくるしかない、なんてことは良くあると思います。しかもIPAのコードブロックはラテン-ギリシア文字からロシア文字、スモールキャピタルやIPA拡張にまで幅広く点在しているので、結局一々Wikipediaを頼ってコピペする羽目になるのです。まあ時間のたっぷりあるときならそれでも大丈夫ですが、日常生活で突然「無声声門閉鎖音を入力したい!」ってなったら困りますよね。

 少なくともWindowsIPAを入力できるIME的なものは存在せず、オンラインでコピペさせてくれるサイトが多少ある程度だと思います。例えば、国際音声記号 (IPA) キーボードType IPA phonetic symbols - online keyboard (all languages)などです。

 当初はIPAを打ち込めるWindowsネイティブなIMEを製作するつもりで満々でしたが、なぜか時刻が勝手に12月に入ろうとしているので、大急ぎで僕もJavaScriptIPAキーボードを作りました。JavaScriptなのでオンラインです。当然ウェブアプリです。これにより僕にもウェブアプリの製作経験が生まれました。そういうことでよろしくお願いします。

あなりてぃかるIPAき~ぼ~ど

入力方法について

 「あなりてぃかる」とあるのはこの入力方法が分析的だからです。IPA表をご覧になった皆様なら周知のように*2、例えば子音は調音位置と調音方法、母音は舌の前後位置や口の開き具合によって大まかに整理され、あとは有声/無声、円唇/非円唇を割り振れば発音記号は一意に定まります。これにより、例えば「無声両唇破裂音」=「p」というふうに各発音に対して一意に分析的命名がされているようです。

 上に挙げた2つの先行サイト様のうち、1つはIPA表をほとんどそのままの形で載せ、表中の文字をクリックするという方法を採っています。これはウェブサイトのUIとしては有用ですが、IMEを目指す上では採ることができない手法です。もう1つのtypeit.orgのほうはかなり面白い方法を採っています。それは記号の意味を考えることなく、外形が最も似ているアルファベットでジャンル分けし、それをケータイ入力のように繰り返し押すという方法です。例えば、キーボードでAlt+nを2回押すと[ɲ]が出てきます。3回押すと[ɴ]が、4回押すと[ɳ]が出てきて1周します。

 これはやり方としては非常に面白いし、正直かなり便利に使えると思いますが、発音記号には2つのアルファベットの合いの子のようなやつが大量にいて、果たしてどちらのものを押せば良いか分からなくなります。例えば[ɒ]は"a"と"o"どちらに分類されますか?"ɵ"は何で出てきそうですか?[ɥ]は"u"と"y"どちらでしょうか?*3

 というわけで、この2つの手法には限界があるように感じられたので、私は「分析的」な入力手法を採りました。つまり、例えば先に挙げた[ɵ]であれば、これは円唇中舌半狭母音ですから、「円唇中舌母音」を指すキーを押し、次に「半狭」を指定すると入力できる、という具合です。

 これなら画像はいらないし、見た目の微妙なカテゴリー分けに苦しむことはありません。何より、IPA表が頭に入っていれば一発で入力できて最高です。最低限入力しなければいけない各要素についても、表の並び方と対応してキーを並べていますから、QWERTYのように一から覚える必要は全く無いわけです。

 君もアナリティカルな入力手段を武器に、爆速でIPAを入力しよう!

問題点

 作っていて気付いたのですが、このキーボードには致命的な欠陥があるようです。それは、先に上げたような分析的要素からなる記号は広大なIPAのごく一部に過ぎないらしいということです。例えば、「軟口蓋歯茎側面接近音」[ɫ]。英語の"milk"などにも登場するくらい(おそらく)頻出の子音ですが、これは子音表から外れた存在で、調音位置という点でいえば他のものと被るわけでもなく、現時点では入力することはできません。

 また、大量に存在する補助記号や超分節素についてもどうしようか考え中です。一つ一つにキーを割り当てていては明らかにスペースが足りないのですが、綺麗に整理する方法は思いつかず、やはり少し不規則を覚えてもらう必要があるのかなと思っています。難しいですが、なんとか充実させていきたい……。

その他

 ソースコードがかなり汚いです。もっと綺麗に書けると思ったんですけど、よく考えたらキー入力→記号の対応付けって人間がゴリゴリ書くしかないんですよね。結局最終的にハードコーディングで乗り切ろうとしてしまい、悲惨なソースになってしまった気がします……。

 将来はIMEみたいなの作ってみたいと思いますが、分かりやすいガイドみたいなのが皆無なので、プログラミングとかOSそのものに対する知識を付けないと厳しそうです。各種ブログとかTipsとか回って見たりしてもう少し知見を深めていきたいですね。とりあえず現状のやつでも、Electronとかでデスクトップアプリ化したらそこそこ使える気がします。うおおやるぞ!!!

次回予告

 KMCアドベントカレンダーの2日目は、kataさんで内容は「ツイートで振り返る自転車で琵琶湖一周」です。僕は徒歩で女子寮の周りを一周したことがありましたが、死ぬほど虚しかったです。よろしくお願いします。語学/言語学/人工言語アドベントカレンダーの2日目は、 さんで内容は  です。

KMC(京大マイコンクラブ)の宣伝

 KMCでは、もう一つグラフィック班を中心にアドベントカレンダーを行っております。1日目の担当はrmasakiさんで、なんと5日目まで5日連続で担当が入っているようです!とても楽しみですね。

adventar.org

 また、KMCではあらゆる部員をいつでもどこでも募集しています。IPAから情報処理推進機構を連想できないあなたも大歓迎!年齢も所属も性別も人種も何一つ問われない素敵な団体ですので、少しでも興味を持ったあなたは今すぐ下のリンクから入部案内をご覧ください!

www.kmc.gr.jp

*1:しかし非言語学的な語学書では(なぜか)わりと使われている印象がある。非英語圏のタイにおいて、例えばดี[dii]を"dee"と表記した入門書に出会い、果たしてこれは「ディー」と「デー」どちらで呼ぶのかと迷った記憶がある。

*2:皆さんはきっと幼稚園くらいからIPA表を読んで育ってきたと思います

*3:正解は"h"です